腕を切ること生きること
私が病んでた時いつも手を差し伸べてくれる人がいた。なのにいつも私は不幸だと思ってた。なんだろう、不幸なヒロインに憧れてたのかな?
でもその時は確かに世界は真っ暗で、自分という存在が許せなくて、今ここにいる自分という存在が最初からないことになればとすら願っていた。今まで私に関わった全ての人の記憶から私を消して欲しかった。
なぜなら私が死んだとしたら、悲しむとかそういう感情はまぁ人それぞれにしてもまぁびっくりはするだろうし、そんな波風を他人の心に立てたくなくと思っていたんだと思う。こんな私の事で申し訳ないと。
そのくせ人から自分の望む扱いを受けないととんでもなく相手を心の中で罵倒して、「私はこんなに人に気を使って思いやって行動、発言してるのになんで私にもそうやってくれないのよ」とまぁよく怒っていたなぁ。
自分自身への評価が高すぎであり、他者への理想が高すぎなんだろう。
それなのにこれ以上努力しなければ、自分という存在は認められないとも思っていて、努力できない自分を責めて、責めて傷付けて毎晩腕から血を流してみたりもした。
よく腕を切ってる人に対して、「死ぬんじゃない」とか「そんなとこ切っても死ねないよ?本当は死ぬ気なんてないんでしょ?」とか「かまって欲しいだけじゃん」よく聞くけど。
私の場合は違った。他の人はしらないけれども。
腕を切るのは死にたいからじゃなかった。生きるのを確認するためでもなかった。
自分への怒り、他者への怒り、頭の中で爆発する感情のぶつけ先がそこだった。
夢なんてなかったけど、きっと私は期待していたんだ。自分が生きてる世界に。何か素晴らしい毎日があるんじゃないか?と。
でもだんだん色んなことが見えてくる。
だから思い通りにならない現実に腹を立て、自分を責めて他人を責めて。
今思うと自分で自分の存在をとても持て余していたんだなぁ
いつからだろうか?腕を切ることもなくなった。
自分の期待する世界と現実の世界にズレがなくなって来たようだった。
期待をしなくなるというと、何かを諦めたようなそんなマイナスな表現になりがちだけど、そうではなくて今ある時点の幸せなり、穏やかさなりを見つけられたから。